沖縄剛柔流とは
剛柔流以前は那覇手(ナーファーデー)と呼称され、那覇手を代表する武術家が東恩納寛量で、その高弟が宮城長順である。
沖縄剛柔流は宮城長順(1888~1953)を流祖とする沖縄を代表する流派のひとつである。
剛柔流は旧琉球王朝の清国往還船舶頭であった東恩納親雲上寛用の四男東恩納寛量(1853~1915)が1867年 (慶応三年)二月琉球王府の承認を得て私費留学生として福建省福州に渡り、福州学舎での三年間の勉学期間を含め、十五年の間同地に留まって南派小林拳の達人リュウリュウコウ師より朝夕厳しい指導を受け、奥伝の技法を習得し、帰国後にその技法を琉球古伝の「手」と整合せしめて沖縄独特の技法体系を確立したときに始まったものである。
その後、技術は高弟の宮城長順に継承され、1930年に武備誌の中にある拳法大要八句の「法剛柔吞吐」より引用して自らの武術を『剛柔流』と命名し、空手界で最初に流派名をつけた。



☆系譜
リュウリュウコウ → 東恩納 寛量 → 宮城 長順 → 宮城 安一 → 東恩納 盛男
《国際沖縄剛柔流空手道連盟》は、沖縄県那覇市牧志に総本部を置き、流祖宮城長順(1888~1953)→二代目宮城安一(1931~2009)→三代目東恩納盛男範士十段(1938~)と、剛柔流空手道を正統に受け継ぎ、国内13支部・海外65カ国、会員数約20万人の剛柔流空手世界最大の組織です。
また、日本古武道協会に加盟し、沖縄剛柔流武術としてスポーツではない古くから伝わる伝統的な空手の稽古・技術・精神を守っています。
清琉館は、国際沖縄剛柔流空手道連盟の兵庫県支部とて、伝統空手の保存・普及・発展・継承に向け、姫路市を中心に活動しています。
☆特徴
一口に「空手」と言っても多種多様な空手が存在し、伝統、フルコン、スポーツ、武術、古流武道、現代武道、等々に分類され、流派会派が乱立し、日本国内に五万と道場(空手教室)があります。
その中で、当道場は≪空手発祥の地沖縄≫で[流祖宮城長順]より不変に代々継承されてきた「沖縄伝統武道空手」に属します。
【空手】とは武道であり、他人と優劣を競うスポーツではありません。
しかし、一般的な空手道場は、スポーツ空手として試合重視の稽古内容となっています。その為、勝ち負けだけにこだわり、一部の素質のある者だけが優遇されたり、大会で成績を残せない者との指導に大きな差が出てきます。
当道場では、試合がほとんどないのですぐに結果を求めません。
稽古の目的
沖縄剛柔流空手道は、日本人の良き伝統文化であり、
努力・忍耐など不撓不屈(諦めない心)の精神や、礼節を重んじる人格形成を可能にします。
さらに空手道は、体力・精神力を向上するその技術のみならず、稽古の過程において左脳から右脳への伝達を常に行っています。右脳を鍛えるという事は、学業などの記憶方式とは別で、潜在意識に働きかけ身体の各細胞が脳化する事です。その為、「イザという時」にこそ、その真価を発揮します。